見えないプレッシャー

151031今の、特に30代~40代くらいの女性、何かとプレッシャーを感じて生きていると思う。
結婚していない人、しているけど子どもはいない人、子育て中の人。何かやらないと、もっとがんばらないと何かに置いて行かれる。
私は未婚だけど、別に誰から何も言われなくてもなんだか日々プレッシャーをかけられているように感じる。
でも、私のまわりのどんな女性もそれぞれ既に、頑張っているんだよな。
だから、自分というものを一度認めて上げて、そこから先はおまけというかプラスアルファとしてやってみようかなーというくらいの気分でいいと思う。
見えないプレッシャーなんかに背中を押されるのではなく、一歩踏み出すなら、楽しい気分で。自分のほんとにやりたいことをやっていきたい。

サイト作りは、必要な分だけ身軽に

151029最新の機能を使って見栄え良く作られたサイトに目がいきがちだけれど、小さい企業や個人が作るのは予算的に難しい。
そうすると、必要なサイトってなんだろう…と思う。
豪華なサイトでも、ここまでの機能がこのコンテンツにいるのかな…と思う時もある。
Webの世界の流れは早い。スマホが出てきてからは特に。
なので、一度で完璧な予算をたくさん掛けたサイトを作るより、数年して環境が変わったらそれに合わせて変えていけるような身軽なものが理想なのかも。
何が必要で何がいらないのか、よく考える。必要な部分だけ作る。当たり前のことですが、意外と要りそう、というだけで入れてしまうことがある気がする。

ブログで一歩ずつ前に進む

151026最近、仕事で忙しく、その忙しさに心が持って行かれそうになっていた。
ブログを考える時間もなく今日はやめとこうかな…という日も多々あった。
けど、そんな中でもブログを更新出来ると、少し達成感を感じた。
日々に流されるだけじゃなく、自分の進もうとしている方向へ小さい一歩でも確かに進めたという気持ち。
ブログの内容を考えるプレッシャーは基本あるんですが、それに救われることもあるとは。

長距離を走るように仕事をする

151023制作系の仕事は、忙しい時はかなり無理をしたりする必要も出てくる。
が、年齢と共に体力勝負、みたいな仕事の仕方はキツいなぁと思う。
若い時はどんな走り方でもいける、疲れが残らない。けど、無茶な走り方をして疲れが残り、パフォーマンスが落ちるようなら、やっぱり走り方を考えないといけない。

長距離走のような仕事の仕方がいいのかも。全体のコースを頭に描いて、予めつまづきそうな部分や苦戦しそうな部分をシミュレーションしておく。
思いもよらない事態が起こる、という事も考えてペース配分を決める。経験によって培われたものを活かせるんじゃないかな。
…ランニング全然やらないんですけどね。

成長に伴う苦しさ

151021仕事において、求められるものと実力に差があると、その分苦しい。
年をとると、色々な経験を積む分、楽になっていくのかと思ってたけれど、その分求められるスキルが高くなる。なので時折来るこういう苦しさはなくなる事がないのだな…と思うと、自分より年が上で仕事を頑張っている人はすごいなと思う。
ただ、最近はこれも成長に伴う痛み、と考えるようにしてる。むしろ、まだまだ成長の余地がある、ってことだもんね。

さつまいもは自由なかたち

151019_03友だちの家へ、毎年恒例の芋掘りに行ってきました。
慣れない作業で疲れます、が…当たり前ですが普段の仕事とは疲れ方の種類が違って、なんか達成感があります。
日常的に料理をする人は、しない人に比べて疲れにくいのでは、と本で読んだことがあります。土を構うとか野菜を構うことで、知らないうちに癒やされているのかも。
それにしてもサツマイモは様々な形…曲がってたり小さかったり。いわゆる「きれいな形」というのは人間が勝手に決めたもので、ほんとはいいも悪いもなく自然なだけだよなぁ。

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三日坊主というもの

151016ブログを始めて後少しで三ヶ月。休む時もありますが続いてはいます。三日坊主にはならずに済みそうだ。
三日坊主って、何かを始めるてもすぐ飽きてやめてしまうこと、ですが…。実際は、始める→上手くいかない→あきらめる、というパターンでやめる人の方が多いような気がする。
上手くいかない、ところからどう工夫してあきらめずやっていくか…、が大事なのかなぁ。

初めてのデッサンの思い出

151015初めて「デッサン」というものを勉強したのはいつだっけ、と思い出すと、中学校くらいに始めた通信講座だった気がします。まだネットもない時代、未知の分野の勉強をするのに、通信講座は結構利用されていたように思います。
しかし、初めてのデッサンの勉強はあっさり挫折しました。
一番の原因は、お手本になっている石膏模型を持ってなかったこと。石膏で出来た立方体や円すい等なのですが、一般家庭にそんなものあるはずなく。ないものをデッサンって…と当時も途方にくれたんですが今でもやっぱり無理だと思うな。

その後、高校のデザイン科に入るのに再びデッサンが必要になり、美術の先生の教えでコップに入った水等描いていました。デッサンは観察力を着ける為のものでもあるので、「見る」ってことが大事なんですよね。
今でもあるのかな、あの通信講座…。

些細な感情の波は体の痛みみたいなものか

151014会社という環境で働いていると、大きなことでなくとも日々感情がざわついたり傷ついたりする事がある。こういう些細な感情のゆれ、が邪魔だなー、無かったらもっと心穏やかに過ごせるのになーと思っていました。もういっそ、仙人みたいになりたい…。

が、体がちょっとしたことで傷がついたり具合が悪くなったりして痛みで危険を知らせるように、これは心の痛みのようなもの、なのかも。
小さいこととスルーしてしまう感情や違和感も、何かのサインとして必要なことなのかもしれません。

見慣れているもののちょっとした変化

151013スーパーの入り口に置いてあるリンゴにふと目が止まった。
見慣れている赤より、かなり黒っぽい色だったので。写真だと明るいんですが。
最近では、白いナスとか、オレンジ色の白菜なんてのもありますね。
いつも見慣れているものって、少し違うだけでも違和感があって目に付きやすい。