仕事において、求められるものと実力に差があると、その分苦しい。
年をとると、色々な経験を積む分、楽になっていくのかと思ってたけれど、その分求められるスキルが高くなる。なので時折来るこういう苦しさはなくなる事がないのだな…と思うと、自分より年が上で仕事を頑張っている人はすごいなと思う。
ただ、最近はこれも成長に伴う痛み、と考えるようにしてる。むしろ、まだまだ成長の余地がある、ってことだもんね。
投稿者: Rie
さつまいもは自由なかたち
三日坊主というもの
初めてのデッサンの思い出
初めて「デッサン」というものを勉強したのはいつだっけ、と思い出すと、中学校くらいに始めた通信講座だった気がします。まだネットもない時代、未知の分野の勉強をするのに、通信講座は結構利用されていたように思います。
しかし、初めてのデッサンの勉強はあっさり挫折しました。
一番の原因は、お手本になっている石膏模型を持ってなかったこと。石膏で出来た立方体や円すい等なのですが、一般家庭にそんなものあるはずなく。ないものをデッサンって…と当時も途方にくれたんですが今でもやっぱり無理だと思うな。
その後、高校のデザイン科に入るのに再びデッサンが必要になり、美術の先生の教えでコップに入った水等描いていました。デッサンは観察力を着ける為のものでもあるので、「見る」ってことが大事なんですよね。
今でもあるのかな、あの通信講座…。
些細な感情の波は体の痛みみたいなものか
見慣れているもののちょっとした変化
厚生年金の値上がりから、時間の使い方を考える
形のないものをイメージする
伝えたいことに別のことを乗せると話が逸れてしまう
人は、本当に伝えたいことと同時に別のことを伝えてしまいがちだなーと、会社でのやり取りを見ていて気が付きました。上司は、部下に「もっと営業に出ろ」という事が伝えたい。なのでシンプルにそれだけを伝えればいいのだけれど、つい日頃感じていた不満も一緒に話してしまう。例えば有休の取り方だとか。
部下の方も本来の話より、有休のあり方に疑問を持ってたとすると、こちらに反応して反発する。
反発された上司は、本来伝えたい事が伝わらず、反発されたことに怒ってしまうー。と、そんな展開でした。
途中を見ていなかった私は、上司が「もっと営業に出ろ」と話していたはずなのに、いつの間にか有休の話で言い合っていたので「?」という状態でした。
自分でもついついやってしまうんですけどね、こういうの。伝えたいことより感情が上回ってしまったり。人間って、根本的に「自分をわかってもらいたい!」って思っているんだよなぁ。
ブログをやるようになって、「伝える」という事をよく考えます。何か伝えたい時はシンプルに、それだけを伝える!が大事ですね。